お宝発見:僕らのパソコン10年史
懐かしい本を見つけました。
アメリカの出向から帰る前にSurface Laptop2を買い、最近、Macbook Pro16インチを買ったので家に持っているパソコンの台数が5台になりました。 これはいくら何でも多すぎるということで、売れるものは売るかな、と、2011年製Mac Miniと2013年製Macbook Airをメルカリに出品しました。 興味を持った人からMac MiniのOSについての問い合わせがあり、それを調べるのにいつもは使っていない部屋にMacを持っていき動かして確認しているとき、ふと本棚を見ると、あれれ、なんだこれ、という本が目に付きました。 本の名前は、僕らのパソコン10年史、です。 1989年出版のものです。
1980年代というと日本がまだ輝いて見えた時代です。 楽しいこと挫折したこと悔しかったこと、事業が潰れかけたこと、本当に様々なことが起きました。 そういう時代をエンジニアとして生きてこれたことは本当に幸せなことであり、こういう経験を何とか後輩に受け継いでいきたいものだと常々思っています。
それでは、折角なので目次をみながら、その中身を見てみましょう。
前史
マイクロプロセッサの登場は
個人用コンピュータの可能性を開き
マニアたちと企業に大きな夢をもたらした
1971年:電卓用LSIとして開発されたマイクロプロセッサがコンピュータに変身した
⇒ 昔はとにかく大きかったし、大学には機械式の計算機があった。
タイガーの計算機、懐かしい
僕は工学部だったので電卓を買ったが本当に高かった
当時の金額で1万円以上した(今の価値でいうと3万ぐらい?)
1977年:最初の個人用コンピュータがアメリカで製品化された
⇒ 憧れのAppleのAppleⅡが世に出た
スティーブ・ジョブズとジョブズ・ウォズニアック、ヒーローだね
1976年:日本で最初のマイコンキットTK-80がマニアたちの絶対的な支持を得た
⇒ 僕が大学生の時です。 欲しくてたまらなかったが高くて手が出なかった
1977年:月刊「ASCII」創刊、マイコン関連のベンチャービジネスが始動した
⇒ オタクが買う雑誌だったね、当然買っていたが
1978年:最初に発売された日本語ワードプロセッサは日本独自の専用コンピュータと
して発達する
⇒ 昔はワープロの専任者がいた、その人に入力を依頼していた
ワープロの出来は良く、日本は進んでいたと思う、が、島国だった
(参考写真)
計算機の変化
機械式タイガー計算機 ⇒
⇒
電子計算機(変更前) 電子計算機(変更後)
TK-80
1980年
キットではない完成品パソコン続々登場
スイッチを入れればBASICが走るようになって
国産パソコンの黎明期がはじまる
・本格的国産パソコンPC-8001はパソコン文化の芽をはぐくんだ
・シャープ、日立マシンにも人気、初期のパソコンはバラエティーにとんでいた
・パソコン関連でニュービジネス、ベンチャー企業の誕生
・OAブームの「3種の神器」にはパソコンも一枚かんでいた
・コンピュータの巨人IBMがパソコンへの進出を準備しはじめた
⇒ この時はまだ大学にいたのでパソコンというよりホストやミニコンを使っていた
(参考写真)
日立のホスト(大型計算機)
1981年
8ビットマシンが成功するなかで
パソコンのビジネス導入への期待高まる
米国では16ビットIBM PCが登場した
・PC-8801は国産8ビットマシンの標準として長く人々に愛されたマシンである
⇒ 僕はNECではない電機メーカに入りベーシックマスターレベル3を使っていた
CPUは6809で究極の8ビットCPUといううたい文句だった
初め設計した製品にレベル3を使った、忘れられないパソコン
・”重装備”FM8をはじめ各社次々と市場に参入高性能マシンを発売
⇒ 当時は各社様々な製品を市場に投入した、成長期はそんなもんですね
・日本語ワープロ、表計算など、8ビットマシン用ソフトウェア活況を呈する
・パソコンへの社会の評価まで変えてしまったおそるべき巨人IBM
⇒ メインフレームで世界を制覇したIBMもミニコンでは後塵を拝した
でも流石IBM、パソコンでは見事に復活した
IBMは、パーソナルユースのパソコンをビジネスユースに昇華させた
・パソコン用のパッケージソフトにも本格的な流通機構が求められてきた
・初の国産16ビットマシンで会ったMULTI16は、すぐれた力をもちながら
不遇の運命をたどった
(参考写真)
PC8001
1982年
8ビットパソコンが街に姿を見せ
BASICブームがまきおこるなかで
初代9801が発売された
・日本電気、PC-9801発売で16ビットマシン市場の制覇ねらう
⇒ 僕の友達もPC9801を買ったね、確か総額で100万円ぐらい使っていた
当時は結構付帯設備を含めて高かった
PC9801のCPUは8086の5MHz動作、最新のPCは3GHz
・「16ビット時代」の到来といわれたが、パーソナルユーザーには8ビットが花盛り
・デパートやスーパーにパソコンが並び、パソコン教室、テレビ講座もはじまる
・端末機能をもつN5200登場でオフィスへ新たな展開
・IBM PCが進撃するなかで次期マイクロプロセッサの動向が探られる
(参考写真)
PC9801
1983年
ソフト充実への努力や新機種発表など
9800シリーズは16ビットの王者への道を
着々と固めていた
・16ビット環境の必需品、フロッピーディスクドライブが98シリーズに標準装備された
・FM7にうばわれたシェアを回復しようと日本電気は8ビット機に新機種攻勢
⇒ そうだね、16ビットパソコンがでても洗練された8ビットパソコンのほうが
CMでは目立っていたね(日立のS1とか:僕は好きだった)
・JS-WORD、マルチプラン標準装備のPC-100は先進的なマシンだったが
・表計算、データベースなどのビジネスソフトがアメリカから次々にやってきた
・共通の操作、共有のソフトのホームコンピュータ、家電メーカを結集した
統一規格MSX
⇒ 統一規格というものは上手くいかないね、MSXも鳴かず飛ばずだったね
・パロアルト研究所で開発された成果をアップル社は「リサ」に結晶させた
⇒ スティーブ・ジョブズが自分の娘の名前を付けたPCだったが失敗
・ハードディスク装備と家庭用へ、IBM PCは2つの道をたどったが
・マイクロプロセッサは専用機として家庭に浸透していった
(参考写真)
出来は悪くなかったが期待に応えられなかったPCたち
MSX リサ
日立S1
1984年
米国のビジネスソフトが移植され
日本語ワープロソフトも始動するなかで
16ビットパソコンに実用性が求められてきた
・NECの9800シリーズと富士通のFM11、FM16シリーズのパソコン界覇権をめぐる戦い
⇒ まだまだ国内メーカ同士で激闘を行うことができた幸せ?な時代でした
・ワープロ専用機並みの機能をもつ本格的ワープロソフト「松」の成功
・マッキントッシュの登場はIBMへの挑戦的CMで彩られた
・コンピュータの標準規格を統一すべく坂村健氏のTRONプロジェクトが発進した
⇒ TRONは我々の憧れであり希望の星でした
・標準機になりつつあったIBM PCはPC/ATの登場でその地位を不動のものにした
⇒ IBMがパソコン市場に参入した後、多くのパソコンメーカが淘汰された
これはIBMのオープンアーキテクチャーに依るところが大きく、それを
具現化したものがPC/AT機であった、恐るべしIBM
そういえば僕も製品に国内メーカのパソコンを使っていたがIBM PC/ATに変えた
⇒ こうやってみるとこの年は激動の年だったんだと思う
(参考動画)
アップルのCM
1983 Apple Keynote ジョブズのスピーチ(字幕付き)とCM「1984」
坂村健 TRONを語る
[FULL] 【1988】コンピューターの時代 坂村健の提唱するトロン構想 [HD]
1985年
PC-9801VM2の登場で
NECの”98天下”が確立するとともに
ほんとうの”16ビット”時代がやってきた
・高速V30を搭載、2DD・2HD両用ドライブ内蔵のVM2は98の独走体制を確立した
・高速CPUとOASYSキーボード対応で反撃を開始した富士通FM16βだったが
・日本のパソコンはCP/Mの開花をまたずBASICからいきなりMS-DOSの世界へ移行した
⇒ そういえば CP/Mってあったよな、どうなったんだろうか
⇒ TRONを続けていればMS-DOSに対抗できた可能性があったのに残念
・「太郎」から「一太郎」へ、ジャストシステムの成功物語がはじまった
⇒NECのPC9801の成功とともに我が世の春を謳歌したわけだがそこは島国だった
・OAブームにつづくニューメディアブーム、INS、VAN、キャプテンなどの新語が登場
・MSX2は8ビット低価格機に新路線をしきハンディワープロには5万円以下の新機種も
⇒ 天下取りが終わったとたんに凋落の導火線へ火が近づいていることが感じられる
そのことは、取り上げるべき写真が見当たらなかったことからも推測できる
1986年
MS-DOSが定着しビジネスソフトがでそろい
さらに「一太郎」の大ヒットではずみがついて
パソコンは一気にビジネスシーンに
・V30と80286の両刀使いなどラインアップは多様化、98ファミリーは網を広げ続ける
⇒ そういえば僕は98を使ったことがない あまのじゃくだったかな?
・「一太郎」の成功に促されてワープロソフト勢ぞろい、重装備化競争は
高速エディタを流行させる
・日本語ワープロソフトの普及を土台にRAMディスクブーム
・ディスク解析への興味と関連してコピーツールが流行し、不正コピーが問題化
・米国では32ビットのPC/AT互換機発表、互換機の世界広がる
⇒ いよいよ始まった、何が始まったって? アメリカの復権
でも日本は動かない、気づかない?、気づきたくない?
・32ビット68020を搭載したNEWSは低価格・高性能な画期的ワークステーション
1987年
エプソンの98互換路線
国際標準機を選択したAX協議会の発足など
互換機が波紋を投げかけた
・エプソン vs.NEC、互換機発表で告訴騒動に、ほかにもプロサイドなどの互換機出現
・PS/2シリーズがIBMより発売され、32ビット、OS/2の世界が現実化
・国際標準のバイリンガルパソコンをめざしてメーカが結束しAX協議会が発足した
⇒ AX協議会はIBM PC/AT上で日本語が動くようにするための協議会であり
とうとうIBM PC/AT軍門に日本のパソコンメーカが下った日
・ひざの上で使うにはやや重いが、ラップトップがブームに
⇒ ラップトップパソコン、これは新鮮でした
東芝は会社としては色々あったが、特徴ある製品を時々世に出す
いい会社ではないかと思う、J3100はGoodです
・98王国で自己主張するために、個性の強いマシンが続々登場する
・20MBハードディスク大幅値下げ、本格的な普及はじまる
⇒ 1986年には20MBで30万円、それが87年には10万円と格安?になった
・大手BBS(電子掲示板)が本格運用スタート、一方で草の根BBSはすでに数百局を数えた
⇒ このころだ、モデムを買って家でパソコン通信を始めたのは
(参考写真)
東芝 J3100
1988年
32ビットマシン続々登場
286マシンもスピードアップして
パソコンはパフォーマンスの時代へ
・98に32ビット普及機登場、高速化時代とOS/2をターゲットにRシリーズが展開
・ソフトの遅れ、ハイエンドの展開などで、AXマシン市場に登場するも
ブームの目となれず
・PC-VANにコンピュータウイルス/新聞でも大きく扱われて不安と話題をふりまいた
・規格に不統一を残しながらも普及しはじめたCD-ROM、メディアとして
将来はどうなる
・Macのスティーブン・ジョブズ、90年代のコンピュータNeXTで表舞台に復帰
⇒ スティーブ・ジョブズらしい斬新な製品NeXT cubeを世に出すも価格を
含め未完成で事業は失敗、でも、この時のチャレンジが後にAppleで花開く
成功は成功でなく、失敗は失敗でない
・パソコンとデータ交換ができるノートワープロに電子書斎派の人気が集まった
(参考画像)
NeXT cubeのロゴ
1989年
FMTOWNS、J-3100SSダイナブックなど
98王国切り崩しの動きが活発化するなかで
90年代のパソコンはいつ見えてくるのか
・富士通はイメージチェンジを図り、野心作FM TOWNSを発表、
ハデなキャンペーンの結果は?
・3.5インチFDD装備のEシリーズ、98/88両方のソフトが走るDO、
エプソンは重装備の386ラップトップ
・日本語Excel発表でMS-Windowsが本格的に普及期に、ウィンドウ環境は広がるか?
・バグ騒ぎでリリースが遅れた一太郎Ver.4、ジャストシステムは困惑したが、
新聞報道は社会的認知を照明
・640KBの壁を超えるEMS対応のソフトが登場、ユーザーの反応は?
・パソコンマーケットの新たな展開を予感させる、東芝ダイナブック発売
⇒ 98の凋落が目に見える形で現れ、平成に元号が変わったことと相まって
時代の変化を感じさせられる年でした
日本の長いトンネルの始まりでもありました
ここまでお付き合い頂き誠に有難うございます。
10年ひと昔とは言いますが、非常に濃い時代だったと思います。
日本は長い長いトンネルにいました。
いい加減トンネルは飽きたので、そろそろ外に出ましょう。
では、また。