変わりモノがいい!

変わりモノには価値がある・・・ハズ?

花見に行った、つもりになりましょう。

武漢ウイルスは脅威ですね。

最初のころは、こんなになるとは思っていませんでしたが、武漢ウイルス(COVIT19?)は脅威ですね。 過去に経験したことがない事象です。 武漢ウイルスの脅威とともに中国という国の脅威も世界中の人が感じたのではないかと思います。 武漢のウイルス研究所で研究していたウイルスが結果的に研究所から外にでることになってしまい(と言っている中国通の人たちが何人もいますね)、それを隠すために研究所を爆破した(と言っている中国通の人がいますね)中国という国は日本人にとっては理解不能な国ですね。
今、日本は大都市を中心に自粛の嵐であり、日本人にとってはとても大切な春のお花見にも行けませんでしたね。 今回は昔撮った写真を見直してお花見の写真を見つけましたのでそれを紹介しながらお花見に行った気になりたいと思います。

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ポートランドで桜並木を観れるとは思いませんでした。

 僕は、アメリカのオレゴン州ポートランドに2017年から2年間住んでいました。 出向していたわけですが、単身でゴルフをしない身であったので土日は結構ヒマでした。 ポートランドは10月から5月、6月ごろまでは雨季でしてしとしと雨の毎日です。 そういう中で春になり花が咲き始めると皆、嬉しくなって外に出ていきました。 特に桜は綺麗でして日本にいるかのような花見ができました。
場所は、ウィラメット川沿いの公園。 それはそれは綺麗です。
まずは、これをどうぞ。

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先人の苦労をしのびながら観る桜は感慨深いものがあります。

ここは、ポートランドのダウンタウンのウェストサイドのウォーターフロントパークの北の端にあるジャパニーズアメリカン・ヒストリカルプラザ(日本語に訳すと、日系アメリカ人史跡記念広場公園)です。
この川沿いには、100本を超える桜と石碑があります。
この公園にある石碑は、第二次世界大戦中にポートランドで苦難の連続を味わった日系人の歴史が詩として刻まれているもので、13個の石碑があります。
本当に大変だったろうと思います。 戦争をしている国から来た人間に対する行われた仕打ちは想像することもできません。
ちなみに、日本からオレゴンへの最初の移民は1980年代とのことです。 多くは夢を持った若い農民だったようですが待ち受けていたのは低賃金の過酷な労働だったようです。 過酷な中でも日本人は耐え、1900年までには約2600人の日系人がオレゴンで暮らしていたようです。 1940年までには、日系人の居住区となっていたブロック数は大幅に増え100以上の商店で栄えていたようです。 ところが戦争が始まった直後の1942年に日系人は強制収容されることとなりました。 1945年の終戦後、日系人はそれまで以上に努力することでアメリカ社会に受け入れられ戦争前の暮らしを取り戻しつつありました。 そういう中で1958年にポートランドと札幌市が姉妹都市として提携しました。 この関係で、ポートランドでは有名である日本にある日本庭園より日本庭園らしい(と僕は思った)ポートランド日本庭園が生まれました。
苦労を重ねてこられた先輩たちがあってこそ今の我々があるわけでして感謝の気持ちで一杯です。
それでは、公園の桜並木を堪能ください。

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それでは皆さん、武漢ウイルスに負けないで、来年は今年の分までお花見が楽しめるように今を頑張っていきましょう。

 

 

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