変わりモノがいい!

変わりモノには価値がある・・・ハズ?

日常の中に非日常が入ってきて久しいですね。

日常の中の非日常は本来楽しむためにあったはず。

武漢ウイルス騒動による国全体の外出自粛により、平和だった日常の中に楽しくない非日常が入ってきてしまいました。 我々にとって非日常という単語は本来は良い意味で使っていましたが、今回ばか

 

りは悪い意味で使うケースが多いと思います。 今は冬ごもりのような生活を続けるしかないですが、早く普通の日常に戻りたいものです。 そして、日常に戻った後に良い意味での非日常を満喫したいと思っています。 そこでお薦めなのがコレ。 大人のteatime です。 冬ごもりの今、この本を通じて非日常を探してみては如何でしょうか。

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大人のteatimeってなに?

大人のteatimeは、山口・広島の素敵なお店や輝いている人たちの想いを伝えるために創られたおとな世代に向けた情報誌で、2か月毎に発行されています。
実は、これやっているのが僕と同年齢の友達で、これまた変わりモノです。
もともと奥さんが新聞のミニコミ誌的な広告制作をやっていたこともあり、3年前の彼の定年退職を機に、本格的にコレを始めることにしたようです。 僕と彼には腐れ縁的なものがあり(良い意味ですよ)、当然ながら会員番号1番で定期購読を開始しました。 コレの良いところは、それこそ、日常の中に非日常を自然な形で取り込めるようにしてくれているところです。 身近にあっても行ったことがないお店、知らないお店は我々にとってはある意味で非日常です。 その、知らないこと、を、気づかせてくれるのが、コレ、です。 その知らないことの中には商品だけでなく、そのお店の店主に関する情報もあり、出会いを創造するものでもあります。 大人のteatimeを創刊した彼らの思いが、ホームページの会社情報のところに自己紹介的に書いてありますので観てみてください。 

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mizuiroinc.net

僕たちにとって彼の家でのひと時が非日常だった。

僕が彼と知り合ったのは、ほんの20年前です。(歳をとると10年ひと昔なので20年前でも、ほんの20年前となります)
15年まえぐらいから本格的に遊びはじめ、彼が田舎に家を建てた後は、年に数回、彼の家でバーベキューをしました。 総勢20名を超えた時もありました。 ある時は、家に誰もいないのに(外出で)、皆で勝手にバーベキューを始めていたこともありました。 彼の家の周りは、半径50m以内に民家がないので少々騒いでも全く苦情は来ないというところです。 昼にバーベキューを始め、お腹と心が満足してくると皆、思い思いに解散し、でも、常連である7名程度がお泊りする、というオマケ付きでした。
そういうことを通じてお互いにどういう思考形態か、何が好きで何が嫌いか、何が得意で何が苦手か、を理解していったということになります。
今、政府やメディアは、武漢ウイルス騒動後は新しい生活様式が必要になる、とか、在宅勤務だ、とか言っていますが、僕はチョット違うんじゃないかな、と思っています。 過去の記事にも書きましたが、なぜAppleが巨大な本社ビルを建てたのか、なぜ時間がかかる出張を皆やり続けたのか、全てには理由があり、これは武漢ウイルスなんかに変えれるものではないものと思っています。
通常、仕事、というものは、いやというほど、日常、つまり定型的な業務の連続であると思います。 そういう中から新しいコト、を見つけ、開花させることは途方もなく難しいことだと思います。 日常の中に非日常が入ってきてこそ新しいコトが起きる可能性が出てきます。 僕たちがやっていた彼の家でのバーベキューも日常の中に非日常を入れて新しいコトを見つける、新しいコトを始めるためのものでした。
このバーベキューを通じて、コンセプトだけで姿も形もないものを10個も取り揃えてアメリカの顧客に提案に行ったり(行ったのは彼、ですが)と無謀なこともしてきました。 赤字が続き、リーマンショックで壊滅的な状況になった中で生きていくために選んだ非日常的思考・行動と思っています。
その彼が創刊した情報誌なので応援したい気持ちになるのもご理解いただけるかと思います。 山口、広島の書店にはおいてありますので、手に取って見て頂ければと思います。

武漢ウイルス騒動後に変えるものはないの?

安倍首相は、新しい生活様式に変えて、と言っていますが、僕は賛成しかねています。 僕は、安倍応援団ではありますが、ここ2、3年の安倍政権の行動には???となるものが多く、極めつけが今回の武漢ウイルス対策だな、と思っています。 対策の目的が全く判りません。 確かに今の目的は、罹患しないことではありますが、騒動が終わった時の、騒動を終わらせる目的は違うと思います。 人々が幸せな生活を取り戻せるようにすることで、その意味で、武漢ウイルスなんかに負けて、日常の中から非日常を排除したら単に生きているだけになります。 そんなバカな。
今変えるべきは、新しい生活様式へ、ではなく、新しシステムへ、だと思います。
例えば、在宅勤務の件一つにしても目的は罹患しないことですが、その目的を達成するために補完できない不利益を生むことになります。 在宅勤務を長く続けたら判ると思いますが、日常の連続で非日常はゼロ、になります。 こういう中で新しいコトが生まれるはずがありません。 こういう不利益が発生せずに在宅勤務できる職種はそんなに遠くない時期に機械化される仕事です。 対面での業務のメリットを再確認する必要がと思っています。 
逆に対面を止めるべきところがあります、そうです、役所への申請です。
今回も特別定額給付金や持続化給付金の申請の問題が出ています。
役所での対面で申請行う必要があった時代は確かにあります。
申請者のリテラシーの問題によるわけですが今は違うでしょ、と言いたいですね。
(昔は申請の嘘を見抜くことも対面の目的だったようです)
今は役所での応対者の能力が業務の足を引っ張るケースも出ており、ネットで安定化するほうが効率的なのは明白です。
対面でやるべき業務はやり続けるべきだし、対面を止めるべき業務はさっさとシステム化すべきですね。 その判断根拠に武漢ウイルスは入る余地はないと僕は思っています。 そうしないと全てがネガティブな世界になります。

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さあ、日常の中に非日常を楽しく取り込んでいきましょう。

無駄の中に価値があります。 アメリカ国民が無駄使いをすることで世界経済を回してきました。 残念ですが、中国人の爆買いが日本の経済にプラスになったこともあります。 上の2つの例は適切ではなかったかも知れませんが、日常の中に非日常を取り入れる無駄を通じて人生を楽しくしていきませんか?
僕はそうしたいと日々思って無駄使いに励んでいます(言い訳かな?)。

では、また。





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