変わりモノがいい!

変わりモノには価値がある・・・ハズ?

不便は手間だが役に立つ

お籠り生活に慣れてしまいました。

今回の記事のタイトルは、京都大学の川上浩司教授の著書である長い長いタイトルの、
ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、不便をとり入れてみてはどうですか? ~不便益という発想
という本の帯に書いてある文章です。
なぜ、お籠りの話に、不便の話を出す?と思われていると思います。
今回の記事では、今までのお籠り生活の感想と今起きつつある社会の変化に対する疑問について書いていきたいと思います。

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 そもそもアフター武漢ウイルスってなに?

人間は、長年、というか、ずっと、ウイルスと共存してきているわけで、今メディアが騒いでいるアフター武漢ウイルスの姿って、歴史に学んでいないように思えて仕方がないんです。 武漢ウイルスだけでなく、人間社会でもそうですが、避けても避けきれないことが沢山あるわけで、避けることが一番の解決策ではないことがほとんどのケースで当てはまります。 アメリカや欧州での急拡大の場合には一時的に武漢ウイルスとの接触を断つことが一番大切だったと思いますが、これからも、断つ、ことを最優先にした方法が一番正しいやり方とは到底思えないところがあります。
問題は、適応の仕方、ですよね。
その際には、目的があるわけで、何の目的のために何に適応するのか、ですね。
日本における武漢ウイルスへの適応の目的は、
まず第一に、医療崩壊を起こさない、ことだったと思います。
次が、重症患者を発生させない。
そして今は、経済を破綻させない、ことと思います。
アフター武漢ウイルスを考える場合には、上の3つをまずは考えて、そのあとに、オマケのことを考えれば良いのではないかと思います。
少なくとも今、メディアが連日報道しているような感染者数は何の役にもたたないと思いますね。 メディアの報道も上の3つの目的の上で行われるべきと思います。

そのうえで、不便益をどうやって導入する?

まず、不便益とは、不便の益(benefit of inconvenience)のことで、不便の中の効用や豊かさに注目し、そこに積極的な価値を見出す考え方です。
提唱者は、京都大学の川上浩司教授です。

fuben-eki.jp

上にあるサイトに、事例が出ていました。

・富士山の頂上に登るのは大変だろうと,富士山の頂上までエレベーター
 を作ったら,どうでしょう.よけいなお世話というより,山登りの本来
 の意味がなくなります.
・ヒットを打てるように練習するのは大変だろうと,だれでも必ずヒット
 の打てるバットを作ったら,どうでしょう.これも同じですね.
・私が子供の頃,遠足のおやつは300円以内でした.もし,自由に好きな
 だけおやつを持ってきても良かったとしたら,どうでしょう?遠足前日
 に半日をつぶしてスーパーをうろつき,自分ならではの組み合わせを考
 え抜いたのは,今思えば楽しい思いでです.
・就職氷河期に,就活超勝ち組の学生がいました.コツを聞いたところ,
 新聞を取るのを止めたのだそうです.勝手に配達+口座引落しという便
 利方式を止めて,毎朝コンビニに行ってキャッシュで新聞を買う.これ
 がコツだとのこと.

今、メディアでは例えば学校のオンライン化の件などが賑やかに取り上げられています。 オンライン化しないと世界から取り残される、とか。 本当?
学校のオンライン化について考えると、
まずは先生によるZOOMなどでの授業風景の配信が始まり
 ⇒ 次に授業風景ではなく先生による講義の配信に変わり
  ⇒ 次に特定の先生による講義の配信に変わる。
これって学校? 学校ってなにするところ? 知識を伝え習熟度をチェックするところ?
同じ話が、在宅勤務にも言える。 仕事の内容を伝え、進捗を管理すればいいの?
オンライン医療についても同じですね。
病院に行かずにオンラインで診療する。 これって本当にいいの?
川上教授は、不便益について、人工物に囲まれた生活の弊害」に警鐘を鳴らすトレンドでも, 「昔の生活に戻れ」と主張する市民運動でも, 単なるノスタルジー でもない、と言っています。
不便益のサービスの事例として、
・日常なにげないバリアをあえて作り込んで身体能力を衰えさせないという考え方
 (バリアアリー)と,それを実践しているデイサービス
・安全を担保するのは道路側ではない.車線も標識も信号も取っ払って,安全の担保は
 人に委ねる道(シェアードスペース)
・電動サポートや自動衝突回避などの便利機能をつけるのとは逆向きに,「自分の足
 で,漕げ」という車いす(Cogy)
というようなことが提案されています。
僕はApple Watchを愛用しています。 使い始めた理由は、心拍数や心電図を測ることができたからです。 例えばこれにしてもオンラインで全てのデータを医者が監視できる、というシステムにもできますが、それが良いとは思えません。
毎日体重計に載るというルールを決めるだけで体重が下がるという話がありますが、心電図の件でも同じです。 日々の生活へのフィードバックが大切なのであり、医者の作業効率や患者の通院時間短縮が目的ではないはずです。
心電図とかのデータ測定は簡単に取れるようにして、取ったデータは医者に自動的に届けられ、患者が検診で病院に行ったときに、病院での検査は行わずに今までのデータを元に医者と患者が今後の治療について話し合う、こういう姿が、不便益の考え方を使ったあるべき社会の姿ではないかと思います。
  注)上のようなシステムに変更することで医者の負荷を軽減でき
    院内感染の可能性も低減できると思います。
    色々と工夫できます。
下の図は、川上教授のHPにある、益を生みやすい12の不便と、不便から得られる益
です。 新鮮な感じを受けます。

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学校の件にも適用できます。

そもそも学校での感染で何を恐れているのか?
子供の重症化の例もありますが、一番は子供が感染し、それを高齢者や基礎疾患がある人にうつしてしまうことですね。
その意味で、人との接触というか武漢ウイルスとの接触を断つべき人は高齢者であり基礎疾患がある人です。 今回の政府の対応で一番不満があるのは、このことに対する処置を何もしていないので第二波、第三波においても第一波のときと同じ対処になってしまうのではないかということです。 これをしなかったので接触禁止の範囲が広がり、結果、生まなくて良い経済的なダメージを莫大生んでしまったと思います。
高齢者や基礎疾患のある人への対応はチョット横に置いておいて(横に置くな!という声も聞こえてはきますが横に置いておきましょう:僕は前期高齢者予備軍+基礎疾患持ちです)、
学校の件を考えてみましょう。
メディアで言われているのは、子供の学力が低下する、ということです。
これは何もしないと事実として目の前に現れます。
でも、巷で言われているオンライン授業は、今以上に知識の一方的な伝達になる恐れがと思います。 やるべき授業を行えていない、という発言自体が知識の伝達を主体と下発言であり、それをやっても良いのは塾などの場合だと思います。 能力がある程度ある場合にはOKでしょう。 対象を広くした場合には良くないのではと思います。 オンライン学習のほうが質問も活発だったというような話もありますが、質問が活発なことと学習の進度に関係があるとも思えません。
ということで提案は、
1)学校へ通うことを前提に進める。
  事情がある場合には、自宅でのオンライン授業を受ける。
  このオンライン授業は、授業風景そのものを配信する。
2)子供の学習の進度を測るためのオンラインツールを作る。
  これに不便益の考え方を入れる。
  オンラインというと、キーボードで入力したりチェックマークを入れたり
  という方法だが、あえて手書が必要にする。
  一人ひとりの生徒と先生のやり取りが過去分を含めて見たいときに観れるように
  する。 ある意味で、先生と生徒の交換日記のようにする。
  また、能力がある子供の学習スピードを落とすようなことはしない。
  一気に教科書の最後に行っても良い。 問題は、習熟度のチェックをキチンと
  行うこと、習熟度が不十分な場合に、フィードバックできるコト、と思う。

最後に

長々と書いてきましたが、武漢ウイルスの件をきっかけに昔読んだ不便益の本を思い出し、不便益の考え方を適用したらどうなるかな、と考えてみました。
上に書いてあることは、あくまでも一つの考え方であって、要は、多くの人が、メディアにステレオタイプで流れている、当たり前のように見せかけている情報に影響を受けず、自分の頭で、不便益の考え方を活用して、どうやっていくかを考えるようになればな、思っています。

では、また。

(参考図書) 

ちなみに、川上教授のこの本も面白いです。
  



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